水の領域

瑞木理央(みずき・りお)の短歌と詩

【連作短歌】 旅立ち

生き終えた樹木が朽ちてゆくようにわたしの湖(うみ)も乾きはじめる なつかしい匂いの部屋に包まれて時計の音に別れを告げて にんげんのかたちを解いて生命のはじまりの夜を迎えにいこう ひび割れた記憶の束はぜんぶぜんぶベッドの上に置いて、わたしは ひ…

【短歌】月に寄せて

目を閉じて息を澄ましてこの夜と一つになってゆく闇の肌 メランコリアの月はお菓子を食べ過ぎてほろんほろんと降る粉砂糖 魔女の肌色の今夜の月だからケチャップまみれにするオムライス 銀の屑しゅらしゅら砕け降る夜の銀の欠片でみずうみを買う 木枯らしが…

【連作短歌】蟹のいる生活

青痣が消えない点滴針の痕 終末前夜をどこまでも行く 血のにじむ絆創膏を剥がすとき無音の白い空間が来る 肝臓に棲む黒蟹の消息をきくたびに潮騒がうまれる 遺伝子の捩(よじ)れた蟹にぴったりと寄り添うような波をください 両肺に水玉模様の火を宿し浅瀬で…

【連作短歌】青葉のコード

紫陽花の珠がほどけてきらきらの蕊が地球を芯から照らす 鶯がまた口ずさむ六月のアリアに森の声が重なる 龍の庭にプラスチックの遺物あり ヒトは何処でもピクニックする QRコードが埋め込まれた青葉たまに雀も読み込んでゆく ウイルスの生きのびかたを称え…

【短歌】この世へと

題詠〈雛〉この世へと生(あ)れ来る前の雛の棲む卵の中のちいさな宇宙 転生を繰りかえすたび草臥れてゆくたましいを滌(すす)いで翠雨 こころの生ぶ毛をそっとなぞって火のようなあなたの深みに触れる 言葉で note.com

【連作短歌】踏まれた薔薇

殺意閃くさくらばな殺す側にわたしはきっとなれないでしょう * 心臓が裂かれる音をきいていた箱庭の薔薇踏みしだかれて 花には花の痛みがあってこの夜も誰かが水の包帯を巻く 花の文字、薔薇の言葉を解さないヒトらの靴の裏で花片は どの薔薇も怯えたように…

【短歌】むらさきの

むらさきの屍体散らばるように花あえなく果てて桐の樹の夏 note.com

【連作短歌】春の回廊

春が来る 眠れる土に高らかなボレロを響かせて春が来る アーモンド、杏、さくらに似た花をあつめて春の回廊とする 三月の風の針先つついたら染井吉野のけはいが覗く 四月にはいろとりどりのキャンディーが空からこぼれおちてはひらく 冬鳥の消えた池には龍が…

【短歌】千の眼を

千の眼を瞠(みひら)くように羽ひろげ異界の春を告げる孔雀よ 艶やかな求愛なんぞ目もくれず姉妹孔雀の午後の長閑(のど)けさ note.com

【連作短歌】沈みゆく春に

花びらにひらりひらりとウイルスを宿しいのちを削る桜よ 恋じゃない恋じゃないけどこんなにも掻き乱される見えない君に 綻びてゆくシステムは日常の息の根をゆるやかに縛って 春の陽を感じていよう咳をしただけで独りになる車両でも 祈るように手を洗いつつ…

【連作短歌】 午前27時のLove Letter

目が合った瞬間(とき)をぼくらは忘れてる波打ち際で鳴るファンファーレ 誤字すらも可愛い君のmailから感染したい どうせ飛ぶなら ぼくたちの痛さ苦さも溶けてゆき溢れて海は永遠になる 吊り橋の上でぼくらは遥かなる波に呑まれぬように離れた 百億年のちの…

【断章】美醜について

私は あなたという存在の根源から放たれる美しさ を知っている私は あなたという存在の深淵に蠢く醜さ を知っている かつて 私はあなたの教室の12列目であなたが声を発する瞬間を待っていた一分の隙もなく鎧われた あなたの言葉の尖りが私には心地よかった私…

【連作短歌】見えない戦争の時間です

言の葉の渦巻く海よ水中で目には見えない戦争がある 奪うより与えることを選んだら今しも骨になりそうな月 バーチャル鬼ごっこの鬼たちは月の裏で朽ち葉をかぞえていたが 欲望がせめぎあう夜この惑星(ほし)の芯をふるわすほどの痛みを 水晶を愛したことは…

【断章】因果関係の創造

(1)サラダにかけるドレッシングを作ろうとしたら、ハーブソルトが切れていて、食卓塩を使った。サラダはいつもより塩っぱかった。 (2)マスクを家に忘れて、そのまま満員電車に乗ってしまった。その夜、喉が炎症を起こした。風邪をひいたようだ。 (3…

【連作短歌】エレベーターで上がったり下がったりした日

透明な種として過ごしたい街で個体識別されて冬空 高層ビルの窓に映った青空と雲と高層ビルがまぶしい シースルーエレベーターに運ばれてこのまま一人で昇天したい あすの朝ゴジラに変身していたら私がビルを踏みつぶす番 二〇〇メートル下りれば歩道を人類…

【断章】 ◯ と私のあたらしい関係

あなたは優しいひとだ私が犯した罪を知っても 私を責めなかったあなたは冷たいひとだ私が苦しみ悶えていても 手を差し伸べてくれなかった なにも言わないなにもしてくれないあなた たとえそうであってもあなたを知ってあなたのもとに辿り着いたことそのこと…

【短歌】Schizophrenic Visions

(怒ってる)郵便ポストの顔色がシグナルレッドに変化した朝 エンジンの音が私を責めているようで歩道をあるけなかった 昨日までなかったはずの歩道橋、建設過程を誰も見ていない 深海魚から受け継いだ遺伝子が私の意図を支配している * * * サイレンが近…

【連作短歌】地下劇場の王国より

パペットの糸切れたあとその瞳(め)にはひかりが宿る やがて開幕 観客がわたし独りの劇場に轟きわたるオラクルの蒼 道化師がバビブベぼくの鼻先で告げる世界をはみだす呪文 真実は劇薬だからすこしだけ朝のスープにそそいであげる 錆びついたメロディーより…

【断章】言葉よりも切実な言葉を

詩よりもずっと痛切な詩を言葉よりももっと切実な言葉を私は求めつづけていた ペン先が掠れ見えない文字を刻みつける紙の音その紙の窪みにかろうじて掬われる痛み 痛みだけが確かにあってその痛みによって生かされる命があるということをあなたはやがて知る…

【連作短歌】ヘモグロビンが足りなくなる日

鮮血がほとばしる日を(おだいじに)鉄の錠剤しろく煌めく 赤血球白血球をかぞえたら私の肺に吹くあかい風 いつもより賑やかに鳴る鼓笛隊むねに抱えてのぼる階段 血を流しまた血を流し残された血が体内をまためぐりゆく 子宮から剥がれ落ちた血は裏側でいつ…

【断章】壊れた世界

この世界が壊れた場所だということを私はとうに知っていた だから 世界が音を立てて崩れてゆくのを目にしても(ああ、こういうこと、前にもあったな・・・)と どこか懐かしいような気さえしてしまう そうどこか懐かしい壊れた世界 そもそも世界が壊れていな…

【連作短歌】水の領域

龍の庭、その結界に触れるときかつてわたしも森だったこと あと一歩踏み出せばほら、ここからは水の領域 うたがうまれる たましいに鳥の刺青いつだって翔べる準備はできていたんだ 水が空を恋うように気がつけばまた ぼくらはとおく月をみていた 川面には光…

【断章】 世界は愛で充たされている

私はこの手に愛を握りしめて 生まれたいたるところに愛はころがっていた 窓と窓の透き間に鳥と風のあいだに一本の樹と私の出逢いに星と星のあわいに愛はころがっていた 何もない空間でさえ愛が充ちあふれていた 憎しみの渦も涯のない孤独も終わりのないたた…

【連作短歌】ありふれた夜のために

「生まれてこなければよかった」と叫ぶすべての魂に、この連作を捧げます。 新月の闇から闇へ谺(こだま)する無邪気な夢魔の宣戦布告 まなうらの水晶宮の奥深く誰もが孤独な王となる夜 眠ってる星の記憶を辿りつつわたしを使役する電子音 星と星ゆき逢う宙…

【短歌】夏の散歩道

森をゆく 梢を鳴らす風音に耳をふさいでずんずん歩く 樹がとぎれ空がひらけてその下に団地の群れがぎゅうぎゅう光る * * * 雨。 雨粒がやけに大きい夕立に打たれて走るでもなく濡れる 青空が見えているのに強くなる雨のあしおとまた遠くなる 濡れた服はす…

【短歌】水の季節

花時計の針は時間を止めたまま降りゆく水の季節を眠る 生きて今が在るということ公園の青い楓の葉が揺れること 点滴の針の痕からアンタレス、赤き光を鏤めてゆけ 空白の日を白いまま過ごしてる光 はためく雲ばかり見て 八万六千四百秒の一日を生き終えてまた…

【短歌】午後の教室

教室にぽつりぽつりとせんせいのモノローグ降る午睡の時間 おとなしい生徒ばかりのがっこうは教師のための優しい温室 note.com

【連作短歌】芒果色の日曜日

太陽の汁が滴るマンゴーの果肉に花のような歯形を クリームの白を掬えばスプーンが踊りはじめるきらきらワルツ シャーベットしゃりしゃり恋に墜ちるときこめかみを突くちいさな芽吹き 蜜色のゼリーそれよりクリームの泡にまみれて溺れたいのに ひとくちが遠…

【連作短歌】夢の消息

目蓋との境に闇が満ちるときからだは粒子となって散らばる イヤホンをしたまま夢に降り立って、エイトビートで駈ける草原 曲調が緩やかになる風音とやさしく睦みあう夜想曲(ノクターン) 近づくと幽かに土をふるわせてジムノペディが湧き出る泉 チャンネル…

【連作短歌】言葉を殺す

こころにもない音ばかり瞬いて今夜しずかに言葉を殺す 腐敗した肉の獣に正装を着せてきらきらさざめく思考 諦めたあとの優しい沈黙が未明の白を閉ざしつづける 生きている人をどこまで愛せるか問うように日は朝をはじめる 血みどろの語彙をあつめて血まみれ…